ワルターとの出会い


私とワルターとの出会いは、クラシック音楽との密接な出会いの時期とシンクロします。
今からおよそ25年前のこと、当時小学校6年生だった私は、8時だヨ!全員集合を観ておりました。
後半のコーナーで、いかりや長介がバンドを指揮して、ビゼーの「カルメン」第1幕への前奏曲前半部分を演奏したのです。恥ずかしながら、まるで雷が落ちたかのような感銘を覚えましたが、あのときの感覚は今でも覚えています。
その晩、家にあったジャンル別の百科事典で、音楽のところを熟読しました。学校の音楽室にあった謎の肖像画の人たち(大作曲家たち)と名曲の紹介文を読みながら、なぜかとてもわくわくとした気分になりました。
その中で、子供心に一番印象深かったのが、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」でした。
当時の私は、アグネス・チャンとか榊原郁恵のEPしか買ったことがなく(恥)、LPというものに畏怖のような憧れを感じていました。その日、初めてLPを、クラシック音楽のLPを買おうと思い立ったのです。

その後、レコード屋さんで、1枚のLPを買いました。CBSソニーから出ていたクラシック音楽入門用のLPで、「動物の謝肉祭」とブリテンの「青少年のための管弦楽入門」です。バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックの演奏ですが、熊倉一雄さんの語りと解説と寒いギャグが随所に入っていて、入門としては最適なものだったのかもしれません。曲だけの演奏だったらあれだけ興味を覚えたかわかりません。
このレコードは、何回も繰り返して聴きました、自分にとって貴重な1枚であります。このときの好印象で、LP買うのなら「CBSソニー」というプリンティング(刷り込み)がされたことが、その後のワルターとの出会いに繋がっていくのだと思っています。
そのLPに入っていた「ベストクラシック100」のカタログを見て、次はこの中から選んで買おうと決めました。
当時の貧困な音楽知識の中で唯一頭の中に鳴る音楽とは、そう、"運命は斯くの如く扉を叩く”のダダダダーンのベートーヴェン「運命」交響曲です。そう、ご存知の方は多いと思いますが、当時のベストクラシック100の看板は、ワルター/コロンビア交響楽団の一連のステレオ録音だったのです。そして、運命・未完成のカップリングによるワルター盤はその中でもベストセラー盤だったのではないでしょうか?
というわけで、運命・未完成のレコードの購入が、私とワルターとの出会いだったのです(長い前置きでしたね!)

さすがに演奏者の違いなんて考えてもおらず、当時は楽曲との出会い自体が新鮮すぎましたから、ワルターという名前は深く刻みつけられたものの、指揮者に対するそれ以上の感想は持ち得ませんでした。運命とか未完成という曲自体に引かれ、クラシック音楽鑑賞への第1歩がこの段階で方向付けられたのだと思います。この段階では、ワルターじゃなくてもそれなりに感動したのだと思います。
因みに、3枚目のLPはヴィヴァルディの「四季」(笑)でした。オーソドックスな展開でしょ(*^。^*)。
その後、ベートーヴェンの交響曲を中心にじわじわとLPを購入していきました。ワルターのなら間違いないかという先入観だけはできていて、ワルターの指揮したものばっかりでした。ライナーノートにはワルターのことが誉めちぎってあるので、そうなっていったのでしょうね。

中学になってから、友人の家でLPを聴く機会を持ちました。運命と田園です。演奏はカラヤンだったと思います。とにかく、がく然とした記憶しかありませんが、印象がまるで違いました。このとき初めて演奏者による曲の違いを認識したのです。
その後、フルトヴェングラーの演奏にも出会い、大変な感銘を覚えましたが、なぜか心に残るのはワルターの演奏でした。ワルターの指揮したものがある曲については必ずワルターのものを買いました。もともと、私の性癖は、小説でもなんでも気に入ったらそれに関するものはとことん集めまくるというのがあって、自然と、ワルターの全部のレコードを聴きたい! いつのまにかそう決めていたのでしょうね。
そのうち、自伝は読み始めるわ、宇野功芳先生の著作「ブルーノワルター」に出会い、中学2年のときには日本ブルーノ・ワルター研究会にも入会いたしました。徐々にしかし着実にワルター狂への道は高まっていきました。

このようにして、私とワルターとの出会いがあったのです。

ここまで、拙い文章をお読みいただきましてありがとうございました。

ワルターの魅力については、「ワルター讃」で展開していきます。


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